事業報告

太佐山高射砲陣地跡(たざやまこうしゃほうじんちあと)の確認調査をおこないました

愛知県東海市教育委員会からの業務委託を受け、弊社名古屋支店の文化財調査部門が昨年と今年の2回にわたり、発掘及び測量調査をおこないました。

太佐山高射砲陣地跡(たざやまこうしゃほうじんちあと)は、太平洋戦争末期の1944年10月から12月にかけて、旧上野町名和(現在の東海市北部で名古屋市に隣接する)に所在する標高44mの小高い丘陵である太佐山(たざやま)に構築されました。

零戦を作っていたことで有名な三菱重工業名古屋航空機製作所(名古屋市港区大江)をはじめとした軍需工場を防衛する目的で作られた陸軍の陣地の一つで、6門の高射砲を設置し、1万メートル近い高度で飛来する米軍のB29の迎撃を想定していたようです。


調査地周辺地図

戦後、多くの戦争遺跡は高度経済成長に伴う開発により破壊され、消滅しています。

この陣地跡の存在も忘れ去られていたものの、地元の郷土史家などの熱心な調査により、陣地のほぼ全体が良好な状態で残っていることが判明していました。

戦後75年を経た陣地跡はその全体が竹林によって覆い隠され、調査開始時には砲床(ほうしょう:高射砲を据え付けていたコンクリート製の基礎)の一部が2か所露出しているだけでした。


第二砲座 伐採・清掃後の状態

今回の調査は、高射砲を据えていた陣地中枢部が対象でした。

遺構破壊のおそれがあるため重機類の活用は一部に限られ、人力による大規模な竹林の伐採、ドローン等を用いた測量、人力と小型重機によるトレンチ確認調査の結果、6門あったと記録されていた砲座(ほうざ:高射砲を据えていた遺構)の位置を全て特定することができました。

第2砲座 作業前の状態

 

伐採作業

トレンチ掘削作業

測量作業

トレンチ調査の結果、全ての砲座がつき固められた盛土の上に構築されていたことや、激しい戦闘の衝撃を経てもなお数センチ以内の誤差範囲で水平を保っていたことが明らかになりました。

また、戦後進駐軍によっておこなわれた火器や砲座の爆破処理の痕跡なども明らかになり、高射砲や関連機器の部品と思われる遺物も複数発見されました。

陣地の構造や構築の様子が、発掘調査を通じて明らかにされる例は多くありません。文化庁の方針を見ても、今後は世界大戦時代の遺構も考古学的調査の対象として取り扱われる可能性が高く、太佐山高射砲陣地跡の調査や史跡整備は、全国的に見ても貴重な例になります。

発掘調査後、現場は遺構保護のため埋め戻したため見学はできませんが、陣地跡のほぼ全体が東海市の緑陽公園予定地内に所在するため、今後数年をかけて保存整備されていく予定です。

弊社の文化財調査部門は、調査報告データの活用方法も含め、保存整備のさまざまな場面で東海市との協力をおこなっていく予定です。

TOP